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日本の梅の起源

梅は日本の自生種ではなく、大陸から渡来した植物という説が有力ですが、その年代を巡っては、まだ確定していないのが現実です。
そもそも果樹は、鳥が実を食べ、種で運ぶ以外に遠方に移しようがないのですが、梅の種は大き過ぎて鳥が種を飲むはずもなく、また日本に自生種がないといわれる(一説には九州に自生種があると言われていますが)ことから、稲と一緒に日本に持ち込まれたという外来説は、中国での発祥経緯と共に根拠の一つとなっています。

 

 ひと頃は、8世紀ころに大陸から渡来した説が有力でした。その根拠は、「古事記」や「日本書紀」には梅に該当する言葉は出ていないのですが、8世紀後半に書かれた「万葉集」には、梅が詠み込まれた歌が118首あるため、8世紀前半に大陸から渡来したというものです。

弥生時代に稲と一緒に渡来?

しかし、梅の渡来は、8世紀よりもさらに遡り、弥生時代に大陸から持ってこられたという説が有力なっています。
最近まで、梅の木や核が遺跡から発見されているのは、弥生時代中期(紀元前200―0年頃)の亀井遺跡(大阪府)や弥生時代前期の終り(紀元前300―200年頃)の岡山遺跡(山口県)、高塚遺跡(奈良県)などがあり、弥生時代に梅と稲がセットになって渡来して、日本全国に普及していったと言われていました。
しかし最近では、縄文時代の地層からも梅の種が出土したとも言われ、時代がさらに遡っています。それは米も同じで、縄文後期の時代(3000年前)の遺跡から米が発見されています。このように、米と梅の発見年代が遡るに従って、その渡来した年代が、一体いつ頃なのかを推定するのが困難になっているのです。
もっとも渡来した梅は、その時代によって品種や用途が異なっており、梅の渡来を一元的に論ずるのは無理があるのかもしれません。

梅は、奈良、平安の貴族の鑑賞用

日本で初めて「梅」が登場するのは、「万葉集」巻五で、730年(天平2年)に、大宰府の大伴旅人の邸で梅の宴が開かれ、そこで詠まれた歌が記載されています。
詠み人は山上憶良で、「春されば まづ咲く宿の梅の花 独りみつつや春日暮らさむ」という歌でした。この宴では「梅花の歌三二首」が詠まれています。
次に古いのは、日本で最古の漢文詩集「懐風藻(かいふうそう)」で、751年に編纂され、その中で「春日、鶯梅を翫(はや)す」と題した五言の漢詩が載っています。この漢詩を詠んだのは、葛野王(669年―705年)で、梅を詠んだ最古の漢詩であると言われています。
その内容は、「休暇の日 苑に入って春を望む 白梅は白いえくぼのようにほころび 美しい鶯があでやかな声でさえずる」という内容です。
さらに時代は下がって、平安時代には、菅原道真が「東風吹かば 匂ひ起こせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」という有名な歌を詠んでいます。
万葉の時代、梅といえば白梅で、また花といえば桜ではなく梅を指すほど、白梅は人気のなる樹木でした。
因みに、紅梅が文献に初めて出てくるのは、「日本三大実録」という書物の中で、874年に台風で倒れた木を記録したものです。「紫宸殿の桜、東宮の紅梅」と記されているそうですから、紅梅も古くから日本にあったことが分ります。

梅の絵が初めて登場するのは「源氏物語」

絵画に梅が初めて登場するのは平安時代(11世紀末)で、源氏物語絵巻「竹河の段」に、鶯が枝にとまっている梅の絵が描かれています。
この頃の梅は、紅梅がもてはやされているようで、清少納言は「木の花は濃いも薄きも紅梅」を評価しています。時代が下がるに従って、梅の種類が増え、また観賞する対象も変わってきています。
平安中期には、梅は鑑賞だけでなく、梅の香りが貴族の間で流行し、「夜の梅」、「闇の梅」を詠んだ歌が多くなっています。
このように日本の梅の歴史は、食用としてよりも、貴族たちの鑑賞用としてもてはやされていたことが伺われます。

984年梅干しが初めて文献に登場

一方、薬用として梅が登場するのは、960年、都に悪疫が流行し、村上天皇がこの病におかされましたが、梅干しと昆布茶で病が回復したと伝えられています。
そしてその24年後の984年、日本最古の医学書と言われる「医心方」に、梅干しという言葉が記載されていたのです。医心方という書物は、丹波康頼が著したもので、中国や朝鮮の医薬書から引用した医学本で、この中で梅干しの効用が取り上げられているのです。

鎌倉時代に戦に利用

鎌倉時代になると、梅干しは僧侶の間で茶菓子として供せられるようになり、さらに武士には、戦の際の縁起物として梅干しが食べられていたようです。
戦が盛んになる戦国時代には、梅干しが携帯食として利用され、その加工品の「梅干丸」も重用されるようになりました。梅干丸とは、梅干の果肉と米粉、氷砂糖などを混ぜて固めたもので、水当りなど殺菌効果のある薬として、また喉の渇きを癒すものとして活用されています。

江戸時代は梅の隆盛期

江戸時代はまさに梅の流行の時代といっても差し支えありません。武士ばかりではなく、庶民にも園芸熱が広まり、梅は庭木として、また神社の鑑賞用としてもてはやされ、植木屋が繁盛したと言います。
梅の品種も相当数増え、当時の百科事典といわれる「和漢三才図」(1712年刊)には、梅を、江梅(野梅)、緑蕚梅、重葉梅、消梅(小梅)、紅梅、鴛鴦梅、鶴頂梅の8種に区分し、さらに41種の品種を掲載しています。
食用の梅もこの頃から盛んになり、梅の栽培や特産品として梅干しの加工を奨励しています。「和漢三才図」には、梅を加工してできた「烏梅」が、「脾(脾臓)・肺二経の血分の薬」と紹介し、いまで言うインフルエンザや解熱、咳止め、乳腺炎にも効果があると記載しています。